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2003年12月 第41話  更科そば

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「更科(さらしな)」という屋号は、
昔私ども一門の店で掲げていた、「信州更科蕎麦處」という看板から起こった「通称」であります。
本来の屋号は「布屋なにがし」を名乗りますが、お客様方がこの看板の下の方に書いてあるその屋号を呼ばず、大きく書いてある看板の中の「更科」の方で覚えられてしまった事が、事の始まりでございます。
 正確に申しますと私ども「芝大門更科布屋」は『信州更科蕎麦處 布屋萬吉』と相成る次第でございます。
古くからの老舗は、どちらも同じ様で、
「藪」さんは、本来の屋号は「蔦屋」でありますが藪の中にあったので「藪の蕎麦屋」と呼ばれ、
「砂場」さんは、大阪から進出なさって、「大阪屋」という正式の屋号がございます。

さて、手前どもの暖簾では「真っ白い蕎麦」を第一の売り物に致しましたので、
「更科そば」が固有名詞のようになりました。これも本来は「御前そば」と言う名がございます。
この真っ白いお蕎麦は、更科そば以前からあったようで、信州千曲川のような清流の寒の水でさらしたそばの実は一段と白さを増したことから「さらしそば」と呼ばれていました。「さらしそば」が「さらしなそば」となり「更科」の売り物になったのは、音が近いのを利用して積極的に、白いそばを手掛けた為と言えます。

「更科そば」は、実の中心部に近いところを選んで使うために澱粉質が多く、そばに茹であげてから完全に水を切っておきますとべたつかず、さらりとほぐれるので、お土産をはじめとして園遊会や、お屋敷への納品、おさらいの配り物などのご注文も多く、宮中をはじめとし、一門の有楽町更科は航空便で遠く大阪、中国へも出前した新聞の切り抜きがありました。 
更科そばに使用する「更科粉=御前粉」は、そばをつなげる元となるタンパク質の含有量が色のついたそばの半分程度しかないために、水でこねてもつながらず、蕎麦になりませんので、「湯ごね」と言う方法をとります。 簡単にご説明すると、蕎麦がきを作りこれを粉にまぶしてつなぎにする方法です。  
  コロンブスの玉子ではありませんが、この方法を考えたご先祖たちの努力により、現在の更科一門の技術ができあがったと言えます。 最後に、更科そばは、白ければ白い程良いと思われがちですが、白いばかりが能でなく、強くはないものの、ほのかな甘みが無くては本物とは申せません。
はじめの一口、汁をつけずにお食べになると、このほのかな甘みを味わって頂けると思います。