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2013年1月 第112話 め組の喧嘩

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明けましておめでとうございます。本年も相も変らぬお引き立ての程をお願い申し上げる次第です。
さて今年一月の新春歌舞伎の演目の一つがこの「め組の喧嘩」ですが、一昨年の春、芝大神宮では当地の歴史的な史実である「め組の喧嘩」を後世に残す為に、多くの方の寄付を集め、社殿左側の境内地に六寸角石碑が建立されました。

歌舞伎の人気演目としても知られる「神明恵和合取組(め組の喧嘩)」は文化2年(1805)に当地芝神明で起こった事件です。この界隈は神明様(芝大神宮)の境内地として色々な興行物が小屋を作り平常時も賑わっていた土地柄、そんな中で起きた境内での春場所興行中の「め組鳶職・辰五郎と力士・九竜山」の木戸銭を巡るいさかいがこの事件の発端で、それぞれの「組と部屋」を巻き込んだ大騒動になったと伝えられております。

粋な男の代名詞として江戸の女性にもてたNO.1=火消しとNO.2=力士の喧嘩ですから
半鐘は鳴るは野次馬は集まるはで、死者はないものの36人に及ぶ捕縛者が出たと記されております。
この時期、同様の騒動は数々あったようであるが、芝神明の騒動が庶民の注目を集めたのは事後処理が相撲興行を取り仕切る「寺社奉行」と、町方の事件を裁く「町奉行」、後には農民の訴訟を取り扱う「勘定奉行」も乗り出して、評定所の基本的な構成員である三奉行の協議によって進められるという、当時とても珍しい形をとったためだったからと言われている。

私などの野次馬的感覚では、力士の圧倒的な肉体の存在感と命を掛けて火事と戦う火消しの粋とお洒落なファッションセンスの対比が正に「絵になる」出来事として江戸庶民に写ったと考えてしまうのであります。 豆絞りの手ぬぐいをキリリと締め、組みの名入りの半纏を身にまとった火消し装束は表は色合いも生地もシックだが、裏地には縁起を担いで派手で豪華な絵模様を用いた「いなせ」なファッションで江戸の女性の憧れであったそうだ。

話を騒動に戻して、事件の顛末は全体に相撲側に甘く、火消し側に厳しいものとなった。
事の発端が火消し側にあった事と、非常時以外での使用を禁じられていた火の見櫓の早鐘を私闘のために使用、事態を拡大させた責任が重く見られたためである。早鐘に使用された半鐘は遠島扱いになり、辰五郎は百叩きの上江戸追放、早鐘を鳴らした長松が江戸追放。
力士側では九竜山のみ江戸払い。遠島になった半鐘は、明治時代になってから芝大神宮に戻され社殿内の展示されている。

当店にもレジ左側の壁面に、力士四ツ車大八と火消し小天狗半助の喧嘩の様子を描いた錦絵がありますのでご来店の際にはご一見の程を。