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2018年2月 第138話 初めて物語 

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何事にも初めてと言うものがあり、世の中でも「元祖」だ「本家」だ「発祥」だと言った表示を良く目に致します。お蕎麦(そば切り)の発祥は正確な年数は不明ですが、木曽郡大桑村「定勝寺」の古文書の中の一冊で天正二年(1574)の修復工事の折の寄進台帳にある「振舞いそば切り」と言う文言による記録が最古とされています。「さらしな」と言う名が初めて文献で見られるのは以前にもお話した江戸中期の食通本「蕎麦全書」によると1751年とされていますが、更科布屋一門がその代名詞として販売させて頂いている純白の「更科そば」の完成は発祥より150年後の明治34~35年となっております。完成と敢えて記したのはそれ以前に起源があるという事でその起源となった蕎麦を創り出したのが当家の3代目萬吉と言う事になっております(故有楽町更科四代目藤村翁談)
その起源となった「白髪そば」と言う名前のそばは、一度石臼で挽いて篩った蕎麦粉(この粉が通常のお蕎麦を作る粉)をもう一度更に細かい篩いにかける事でより粒子が細かく真っ白に近い粉を取り出し、その粉で作った新しいお蕎麦でした。その後製粉業者と研究を重ね更科粉として純白で細かい粉を完成させ大量販売を成した麻布の同門布屋太兵衛が「更科そば」として広く世の中に広めた次第です。
さて更科そばもその一つであった訳ですが、港区にはここで発祥した物や事柄が数多くあります。それらをご紹介して新年のお題「はじめて物語」とさせて頂こうと思います。
まずは「鉄道」です。正式開業は明治4年の10月の新橋・横浜間。「汽笛一声新橋を~」の鉄道唱歌はつとに有名です。汐留の旧新橋停車場は再現され開業当時の面影が味わえます。
次は「ラジオ放送」で大正14年3月「JOAK,JOAK,こちら東京放送局であります」が第一声だったそうです。場所は愛宕山山頂、現在はNHK放送博物館が建ち貴重な資料が公開されています。次は「ボーリング場」で初渡来は江戸末期の長崎ですが初の民間ボーリング場として青山(神宮球場隣)に昭和27年12月に開業しました。入会金3万円の会員制でスタートしたものの1年で破綻、以後一般開放され昭和36年の機械式に変わるまで人がピンをセットしていたそうです。他にも明治21年に初の「天文台」が麻布のロシア大使館の裏に、「公園」は明治6年に芝・上野・浅草・深川・飛鳥山の5ヶ所が明治政府の政令として作られました。同じ様に明治7年初の公営墓地として青山墓地を始めとする5ヶ所(雑司が谷・亀戸・染井・谷中)が誕生。面白い所では日本運動協会と言う初の「プロ野球チーム」が大正9年に芝浦に誕生、現在の読売ジャイアンツ創設は昭和9年であった。調べるとこの他にもまだまだあるのには驚きですが又の機会に。