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2006年10月 第75話  歳時と催事

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以前、江戸の昔、蕎麦屋には休日もなく働き詰めと書きましたが、決して毎日忙しかった訳ではなく暇なことが多かったと聞きます。ところが不思議なことに町に事件があると、途端に忙しくなりました。

「藪入りへ毎晩蕎麦のせしゅが付き」と言う句があるように、年に二度、盆と正月に奉公先から宿下がりした子供たちには、親戚だけでなく近所中から人が集まり慰労会が催されました。
庶民の旨いものと言ったら、蕎麦くらいな物であった当時がしのばれます。

「不間な事、客と蕎麦屋がすり違い」と言う句では引っ越しに欠かせなかった蕎麦の様子がうかがえます。
ご近所の普請にも「棟上げ蕎麦」が配られますし、火事でもあったら野天でも商売を始めなくてはならなかったと聞きます。しきたりを破ると縁起が悪いとして決まり事のように蕎麦が付いていった時代でございます。

毎月の晦日に蕎麦を食べない人は、翌月の稼ぎが保証されないと言うことで「晦日蕎麦」。
まして一年の最後の大晦日は翌年一年この不運が付いて回りますので、
絶対に蕎麦を食べた「年越しそば」はその代表的な例として今に残るイベントとなりました。
「晦日蕎麦」の大方は「もり」ですが、了見違いの蕎麦屋も出て、除夜の鐘が近ずくと高い天ぷら蕎麦しか売らなくなる蕎麦屋もあったそうな。 不謹慎な話です。

「本惚れと見抜いて夜具をねだる也」と言う句では、江戸時代吉原にあった「敷き初め」の風習で、
惚れた太夫に寝具を送る際の祝儀として郭中に配った蕎麦を知ることが出来ます。

芝居小屋の近くの蕎麦屋では、「とちり蕎麦」があります。
役者がセリフをとちった罰として配るもので、大とちりは鰻だったそうです。
とちりで有名な役者が出ると、近所の蕎麦屋は仕込みを増やしたと言うことです。

この時代、お不動様、お閻魔様、お地蔵様はほとんどの町の近くにあったそうで、そのお縁日には事欠きません。 祭りは江戸の花ですし、人が集まれば、季節の節目に蕎麦は付き物でした。現代では神頼みではままならないので、蕎麦屋の方で季節にちなんで催しを試みることが多く見られます。

3月3日雛祭りの際の「雛蕎麦」、9月9日重陽の節句の「菊切り蕎麦」、冬至も風呂屋さんに負けまいと

「柚子切り蕎麦」と盛りだくさんです。 9月の「新蕎麦」も日本の風物になりました。
古来から「歳時」・「催事」に強い蕎麦屋の文化がここにあると言えないでしょうか。