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2018年8月 第140話 江戸っ子の条件

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今回は江戸っ子について少しだけですが豆知識をお伝えしようと思います。

皆様の頭の中にある「江戸っ子」はどんなイメージでしょうか?
 私の頭の中でさっと出てくる人物は「一心太助」であり「町人姿の遠山の金さん」と言った町場の「熊さん・八っつぁん」的な庶民でした。

江戸町人が江戸っ子と称され始めたのは18世紀半ば(10代家治の天明年間頃)言われております。当時の江戸は大いなる成長期元禄を経て、文化面でも日本の中心となっていく時であり、著しい経済発展が江戸町人の確固たる基盤となって町人文化を生む背景を作った時期と思われます。それ故にそこで誕生した「当初の江戸っ子」は我々が持つイメージとは少し異なり、江戸生え抜きの上層有力町人であり、かなり裕福な町人を指していたようです。
「当初の江戸っ子の条件と特徴」は
★将軍のお膝元「日本橋周辺」の生え抜きと言う地域性を持ち、
★洗練された高級商人で乳母日傘で育った裕福な階層であり、
★宵越しの銭は持たず、金離れが良く「粋と張」とに男を磨く気質を持った町人です。
初代の江戸っ子は、今まで私が想像していた町場の庶民ではなく、越後屋・白木屋・伊勢屋等の近江・伊勢出身の商人の末裔達だったのです。これに対し私をはじめ現代人がイメージする「普遍化した江戸っ子」は19世紀初頭の寛政期以降に出現します。数代前に地方から江戸にやってきた下層町人が江戸っ子を自称し「初代の江戸っ子」に含まれていったのです。数的には大店の後継者たる初代よりはるかに多く一般的だった自称江戸っ子の2代目達のイメージがその後定着したのは自然の成り行きだと考えます。

「普遍化した二代目江戸っ子の条件」は★寛政期に出現、文化文政期以降に数の後押しもあり存在感を増した階層で、
★数代前に地方から江戸入りした下層町人、★自らを「江戸っ子」と称し、強い自意識を持つ町人達であった様です。
手前どもの祖先も寛政期に信州から江戸に来て定住し、蕎麦屋を始めたとされていますので、正にこの自称江戸っ子の下層町人の末席に位置するようです。
江戸っ子にしてもロンドンっ子にしてもパリジャンにしてもニューヨーカーにしても自意識と独自性を持った人々の連帯感がその根源だと思います。地域を愛し、独特の生活を営み、独自の文化を作り、強い仲間意識を持った江戸っ子の歴史は今後の日本人にとっても良い手本のような気がします。