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2006年12月 第76話  手打ち蕎麦の復活

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昨今「手打ち」がその内容を問わずにもてはやされております。
手打ちで蕎麦を商う店は、関東大震災(1923年)を境に1度なくなりました。
理由は、明治中期に開発された製麺機がこのころから急激に普及したためで、人力で圧延ロールと切り歯を回す初期的な物とは言え、手で延ばし手で切るよりはるかに楽で早かったようです。

しかしながらこの時代も、蕎麦粉を捏ねる作業だけは人の手で行われ、この仕事まで混合機と呼ばれる機械に変わったのは終戦後の事であります。最近は「手打ち」を謳いながら捏ねは機械でやり、切るところのみを見せる店もあるようで、「捏ね」を人がやっていた戦前の蕎麦とどちらが本来の手打ち蕎麦に近い味か考えてしまいます。

「蕎麦は木鉢次第」と言われるように「捏ね」が最重要工程であることを考えると、答えは自ずと出てくる気がいたします。「機械」が不味く「手打ち」が美味しいと言うイメージが芽生える原因は、戦後間もなく「バラ掛け」という混合機によって蕎麦粉と水を混ぜ、圧延ロールの強力な力で板状に固める悪習によるものと思われます。この蕎麦は無理矢理押し固めるので、表面はつるつるしていますが、汁を吸わず堅いばかりで確かに美味しくなく思われます。蕎麦のもつソフトな質感がないのです。とは言え戦後の復興期に政府が「手で食品を扱うのは不衛生」とし、混合機がない店には蕎麦粉を扱わせないと言う悪政が招いた悲劇でもあります。

蕎麦店側も、捏ねの仕上げに再度手で揉み少しでも圧延ロールの力を弱める努力をしなかった責任はあると思いますが ・・・・

こんな機械打ち隆盛の時代にも、「蕎麦の技術の要」である「手揉み」「手捏ね」を頑固に守り続けてきたのが、現在老舗と言われている蕎麦店であります。
神田の藪さんも、室町の砂場さんも、かく言う当店も、その一つであることを自負する次第です。

さて、東京に手打ちが復活し始めたのは昭和30年頃からと言われていますが、その流れが新規参入の蕎麦店の方々を中心に大きなうねりとなるのが現在です。一時機械を導入していた老舗の一部にも、総手打ちに回帰する店も見られます。

しかし「手打ちのポイント」は何処にあるのでしょうか。
少なくとも手で延ばし、手で切るだけで美味しくなるほど蕎麦は単純ではないように思います。 
手打ちだから美味しいのではなく、美味しい蕎麦はどう作るかが大切だと思います。