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2007年1月 第77話  色物変わり蕎麦の復活

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「手打ち」同様、息を吹き返した技術に「色物変わり蕎麦」があります。
最近ではちょっとした蕎麦店でも「変わり蕎麦」を献立に載せておられます。
千葉県佐原市の「小堀屋」さんには1803年に書かれた57種類の変わり蕎麦の伝書が有り、その歴史は大変古いと思われます。 創業1792年の当店にとっても「色物変わり蕎麦」は正に家伝の蕎麦として受け継ぐ大切な技術であります。

「御前蕎麦」と呼ばれる純白の蕎麦に様々な材料を打ち込む技術も、恥ずかしながら無精な蕎麦店のこと
昭和30年位までは廃れ、忘れられ「茶蕎麦」「卵切り」がせいぜいと言った風前のともし火状態でした。
この時代は競合も今に比べて少なく、蕎麦のバリエーションがさほど珍重されなかったと言えます。
しかしながら時代もすすみ、食文化としての蕎麦が見直され「布屋」一門の家伝蕎麦が再び注目されてきたように思われます。

元々色物変わり蕎麦の技術を受け継ぎ、80種類以上にも及ぶ製法の口伝を持った一門ですので、ことあるごとにご披露はしていました。当店でも、雛祭りの際の「三色蕎麦」や冬の冬至の際の「柚子切り蕎麦」はお客様に喜ばれておりました。 昭和60年頃より更科の原点として、またお蕎麦の世界の広がりを少しでも知っていただこうという思いから、現在の「月替わりの変わり蕎麦」と命名し販売致しました。
作り出してみますと、代々伝わる口伝に新感覚が加わり新しい発明作品もでてくる始末で、羅漢果の煮出し汁で作った「羅漢菓切り」やラベンダーの花を使った「ラベンダー切り」、ワインを水代わりの使った「葡萄酒つなぎ」など面白い物が生まれました。

口伝という引き出しの中には、まだお見せしていない物も数多くあります。
折に触れ季節に合わせご披露していきたく思います。きっと「へーえ、こんな物がお蕎麦になるの」と驚かれる物が登場するはずです。代々「布屋一門」の専売特許として知られてきました色物変わり蕎麦を再び世に問うことが、今に生きる私どもの務めと思い、その復活の一端を担わせていただく所存です。

色物とは少し違いますが、蕎麦
の色と言う意味では御三家と言われる藪、砂場、更科の代表的なお蕎麦の色が違うことをご存じでしょうか。

「更科」は言わずと知れた御前蕎麦の「白」。
「藪」さんは蕎麦の葉をすり潰して入れた「緑」。
「砂場」さんは卵の黄身を多く入れた「黄色」。はっきりした暖簾による違いがございます。